この何年かの間、節目の挨拶はだいたい日本で書いているような気がします。家族に会うために日本行きを決めたわけだけど、それが叶ったのはバンコクを出てから約2週間後。多くの人が言われたとおりに隔離を行い、自由や時間や金を奪われている。
国同士の争いのために兵力として駆り出され、自由や時間や金だけでなく命をも落としてきた先輩たちを考えると命があるだけでも世界はいい方向に進んでいると考えたほうが良いのでしょうか。おかしな話だと思うけど、世界はそういうものだからと、それくらいに考えている方が良いのでしょうか。
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8月頭の東京は、暑さをもろもとせず蝉がワンワンと鳴いた。
父親に付き添い病院へ。小田急バスに乗る。座れない年寄りが手すりにつかまり立っている。と言って、若者が席に座って見ぬふりをしているわけではない。単純に座席の数が少ないのだ。タイの赤バスよりも狭くて座席の数が少ない。これからもっと年寄りが増えるので少し気になる。ずいぶんと前、まだ母親の認知症が極めて軽い頃に、座席は若者や働き盛りの人たちで埋まっていた。つり革を持って並ぶ母に「タイなら間違いなく誰かが席を譲ってくれると思うよ」とつぶやくと「ここは日本だからね」と。チャイ・クラップ。
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近所の中華屋で夕食。高校の頃に友達がバイトをやっていたので、冷やかしに食べに行ったような店。緊急事態宣言下の閉店間際に一人の客が店に入って来て「まだ大丈夫?」と。「ちょうど○○さん来たら閉めようと思ってたのよ。」乙ですな。これよ、これ。
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近所のコンビニへ支払いへ行く途中、幼馴染に遭遇。マスクをしているので、どうもはっきりしないけど、すれ違うまでに互いに3度も目をあわせ、しまいに彼が「マサ!?」と。「おぉ!カベか」と。「おまえ、帰ってきたの?」「何やってんのおまえ?」「おまえは結婚したんじゃなかった?」「おまえのお姉さんは元気?」あとから考えると、こんなに自然に「おまえ、おまえ」と呼びあえる関係が自分にもあったのだなと地元の心地よさを感じました。
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さて、9月いっぱいを日本で過ごしタイに戻る予定ですが、タイでは少し生活を変えてみようと考えています。バンコクを離れて仕事の量を減らして、本を読んだり、絵を描いたり、歌を歌ったり、気の合う人と話をしたり、小さな家庭菜園をやってみたりと、まずはそれくらいからの気がしているけど、それ以上はあまり分かりません。新しい体験を楽しめればと思っています。
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近しい人が老い、弱っていくのを幾つか体験し、何かをズシンと感じたのか、僕自身に降りかかるのはまだしばらく先ではあるけど、だからといって時の流れに身をまかせていれば、それはすぐにやって来て、「嗚呼、あっと言う間にこんな年になったよなぁ」などと遠くを見ながら思って、そんな自分の人生を肯定するのだろうし、それはそれでもちろん良いのだろうけど、今の状態に何か違和感を持った自身の声が聞こえたのだから、その声を信じて今を変えてみるのがいいのでは? そう思いました。
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お金との付き合いを見直す良い機会にもなるかもしれません。年収700万を超えるとそれ以上幸福度は上がらなくなるみたいな話があるけど、お金を目標にすると、今年が700万なら来年は800万、その次は900万、数字を達成するためにどうするかばかりに考えが向いて、仕事の本質的なところからは外れてしまうような違和感を持った経験があります。元ウルグアイ大統領のホセ・ムヒカ氏「私が思う貧しい人とは限りない欲を持ち、いくらあっても満足しない人のことだ。でも私は少しのモノで満足して生きている。」タイの前国王が説いた「足るを知る経済」とも似ているところがあります。
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それともうひとつ思います。「いい顔つきでありたいよな。」と。競争の中に浸かっていると、騙したり、欺いたり、それらを狡猾と聞こえよく呼んでみたり、そういうのがビジネスにおいてはOKになっているところもあったりして、僕自身も騙されたのをバネにいい結果を出せれば「そら見たか」と、そういう人間に嫌な態度をとったりして。
人の顔にはその人が現れるから、卑しさや、浅ましさ、あざとさ、さもしさ、意地の悪さ、心の弱さ、みたいなもの、そういうのが染み付いているようなみっともない顔にはなりたくないから、心をコントロールしていかないと。許すのって難しいんだよなあ。
ラジオ番組の最高の口上。「常にFRESHでいること、それが福音の第一番だ」と。その後にかかる山下達郎の「Sparkle」
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セミリタイアがしたいわけでは全くなくて、生産活動は変わらずに続けていくつもりです。たぶん今の自分に少し飽きたのだと思います。この15年で日本でウェブデザイナーとして働くのを辞めて2年間旅に出たり、タイに移ったり、そのタイで会社をはじめたり、新しい環境に身を置くとことで新しい自分になって新鮮な気持ちを保ってきたように思います。葛飾北斎は生涯で100回近く引っ越しをして、30回名前を変えたそうです。それも新しい場所へは何も持たずに行っていたといいます。
さて、どうなることやら。
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会社は変わらずに精進を続けていきます。
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