年が明けてから2週間ほどインドへ行ってきました。

1998年に行ったインドでユーゴスラビア人で1つ年上のBojanという男と出会って僕の人生は今の方向に傾いた。ハンピというとても小さな街で出会ったBojanは、当時日本のJリーグで活躍していたユーゴスラビア人のストイコビッチのニックネームを使って、「Call me, Piksi」という冗談をかましたが、サッカーを知らない僕は、Bojanの本当のニックネームだと勘違いして、他の旅人がいる時にも「Piksi」と呼ぶと、「今はPiksiは駄目だ」と少し恥ずかしそうに言った。

最初Bojanを見かけたのは、ちょうど彼が白人女性の背中に絵の具で絵を描いているところだった。どんな絵だったかは忘れてしまったのだが、その光景がとても印象的だった。国で雑誌やステッカーを作る仕事をしている、ということだった。

大学3年になるとある日を境に周りの友人たちはリクルートスーツに着せられて、こぞって就職活動を始めた。僕はやりたいことが決まってなくて、何かを始めなくてはいけなかったが、昨日まで全くそんな素振りもなかったのに、そういう時期だからとか、みんながやるから、とかいうことを理由に会社案内だとか自己分析だとか言う気にはなれなかった。

大学時代はバイトに明け暮れ、長い休みになるとバックパックを背負って旅に出るのが楽しみになっていて、就職活動のその年の春休みもインドへ向かった。そこで出会ったのがBojanだった。僕も幼い頃に絵を描くのが好きで得意だったし、壁新聞をつくるような授業が楽しかったのを覚えていて、例えば速く走ったりするより、絵を描いたりデザインをするという行為の方がカッコよく見えていて、こういうことを仕事にしようと決めた。決めたと言ったって、まだ何からはじめて良いのかも分からず、とにかくやってみよう、ということを決めただけだった。

いずれにしてもインドから戻ると、すぐにボンダイブルーのiMacを購入して、DTPとかDreamweaverの使い方とかいう本を買って触り始めた。

あれから20年が経って改めて、5度目となるインドへ。

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列車の中、水、チャイ、ビリヤニ売り

当時タクシーはアンバサダーというメーカーの車がほとんどだったが、それらはSUZUKIに変わり、インドでも紙ストローが使われていて、ムンバイの街ではサリーではなく、ノースリーブのワンピースやブルージーンズを着こなす若い女性が多く、列車の駅構内にはamazonの荷物受け取り窓口があり、列車には女性専用車両が多くあり、そしてやはり普通の道に普通に牛がいて、日本に感じる閉塞感や暗い感じなどは微塵もなく、相変わらず器が大きく、その大きさは更に大きくなり、漲るエネルギーに加えて洗練さを感じた。決して日本を非難しているわけではなく、最盛期を過ぎた国とこれから最盛期に向かっていく国との違いのようなものを感じたのだと思う。

列車の駅で「ゴア行きのチケットはこの列でいいのか?」と列に並ぶ男に聞くと、男は大きな声で「ゴア?」と繰り返す。それを聞いた別の列に並んでいる男が「ゴア行きのチケットならバックサイドだ」とこれまた大きな声で教えてくれる。人と人が簡単に繋がっていて良いなと思ったのと、少し前のバンコクでの打ち合わせで、とても声の大きな方がいて、「声が大きいというのは、それだけで魅力的だし力があるんだな」と感じたのを思い出した。

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こうして久しぶりに旅に出てみると、年配の欧米人(と一括りにするのは乱暴かもしれないが)の旅人の多さに改めて気づく。ヒゲに白髪の混ざるくらいの人たちや真っ白なヒゲをたくわえる人たち。

そういう人たちの立ち居振る舞いを見たり、少しでも接する機会があったり、もちろんインド人でもカッコいい年の取り方をしている男性や女性と接したり、振る舞いを見ていると、自分もいい年の取り方をしなくてはいけない、と思うことが幾度かあった。

ある日の夕方、ビーチ沿いを散歩していると向こうの方からピンク・フロイドの”Wish You Were Here”が聞こえて、近づいてみると店内でライブをしている。年配の男たちが演奏し、ドラムが歌も歌っていて、その店の客が全て年配の白人という場面に出会った。ちょうどピンク・フロイドをリアルタイムで聞いていた世代の人たちだろうか。夕日が沈んでいくアラビア海からの海風を浴びながら好きな音楽を聞いている年寄りの贅沢な遊びを見た。

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行きの飛行機の中でひょっとするとゴアにも日本食屋ができているかも知れない、なんて考えていると実際に立派な日本食屋があったのだが、驚いたのはフリーマケットに「SOMTAM」の文字があり、店に立つのはタイ人女性で、話を聞くと、白人男性と結婚してタイと行き来をしながら14年住んでいるということだった。「プラー・ラーもあるから店にも来てね」とインドでワイを交わした。

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当たり前のことだが、あの頃と比べて自分は変わったのだなということを実感した。こうして20年ぶりにやってきてみると、20年前の自分がそこにいるように感じられ、それと現在の自分を比較することで、自分はあの頃と変わったんだ、成長したのだと感じた。まぁ悪くないように来たんじゃないかと思えた。

色々考えなければならない事があるし、年を重ねるとそういうものが増えてくるのかも知れないが、それでもやっぱり人生は楽しむためにあるんだから、楽しまないといけないし、それはそんなに難しいことじゃないと思う。

また20年後、その頃の自分を確認しに、もう一度行ってみるのは悪くないかもしれない。

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