会社を立ち上げて3年が過ぎた。継続的な付き合いをさせてもらう顧客の数が増えて、新規の問い合わせもあり、今年の中盤からはじめたGoogle広告を扱う新事業は、思いのほか探している企業があり、しっかり掘り下げていくと、ひとつの武器になりそうで、この先も変わらずに努力を続けていけば、会社がおかしなことになるようなことはなさそうだ。

 そんな中、父親が倒れた。すぐに日本へ戻った。はじめは大したことではない、という話だったが、突然に悪い流れに入り、話はすごい速度で悪い方に落ちていった。

 結局、この3ヶ月でバンコクにいたのは1週間。それ以外の時間は、独りでの生活が難しい母親と実家で過ごした。今まで自分のために生きてきた僕は、こうして何かの対価と引き換えにではなく、他人に何かをするのは、もちろん大変なところもあるが、悪いものではないというのを覚えた。

 順番通りにいけば自分よりも先に親が死に、何か病気や事故などでなければ、人は段々と弱っていき、日本に残した年老いた親がそこにいる。

 バンコクにいる70近いSさんが「面倒をみるのもこれで最後にしてくれ。と言ったほうがいいよ」と言った。普段はおせっかいなくらいに人の世話を焼くように映っていた人なので、なんだか残念だなと思ったその後、偶然手にとった芥川龍之介の本に良い文があった。

 我我の行為を決するものは善でもなければ悪でもない。ただ我我の好悪である。或いは我我の快不快である。そうとしかわたしには考えられない。
 ではなぜ我我は極寒の天にも、まさに溺れんとする幼児を見る時、進んで水に入るのであるか? 救うことを快とするからである。では水に入る不快を避け、幼児を救う快を取るのは何の尺度に依ったのであろう? より大きい快を選んだのである。

 タイでの生活を止めて日本へ帰り、親の面倒をみることを快とする人、Sさんのように関わりを持たないことを快とする人、僕のように両方をやっていくことを快とする人がある。誰が何に快を感じようと何を言うことも言われることもない。

 父親の入院する病院からの帰り、車から美空ひばりの歌う『会津磐梯山』という曲が流れた。今とは全く違う時代で、国民のほとんどが知っている歌い手や歌があったのだと思う。ラジオにあわせて母親が歌った、その少し外れた歌が妙に良かった。

会津磐梯山 – 美空ひばり

 それにしても、久しぶりに地元を歩くようになると、こんな駅にも昼食を食べるたくさんのビジネスパーソンがいて、商店街はしばらく見ないうちに様子が変わり、インド人のやるインドカレー屋が3軒並び、夜になれば駅前にガールズバーの看板を持ったそれらしき男女が立つようになっていた。

 コンビニで働く東アジア系の顔立ちのアルバイトは上手な日本語を話し、菊地成孔氏がラジオで言っていたように、駅の構内の立ち食いそば屋ではマイルス・デイビスが流れ、大戸屋とCoCo壱番屋でも同じくジャズが流される。

 日本にいて久しぶりに嫌だと感じたのは、地鳴りで目覚めると地震で、それが続く中「あー、とうとうでかいのが来たかもしれない」と思うあの感覚だ。しばらくすると収まって「ふぅ。違った。良かった。。」と思うわけだけど、あれには本当に参ってしまう。

 今回のことで、人は次第に弱っていくし、いつか老いるんだっていう当たり前のことが、これまでよりも良く分かった。自分も例外なく年を重ねてきたし、これからも少しずつ弱っていき、いずれ死ぬ。それまでは精一杯生きてやりたいと思う。

 いつもひいきにしていただいている皆様、今後ともよろしくお願いします。

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